鋼板加工ニュース
2025.10.14
2025.10.14
創業90年、歴史を振り返る
今年は当社にとって創業90年となる年です。
3代目の私の祖父母が創業したのが1935年(昭和10年)。
ここ大阪・九条から社会の変化を見届けてきました。
裸一貫からのスタート
京阪神の重工業が発展した戦前・戦中から、
大阪・九条は鉄鋼業の中心地でした。
兵庫県の農村から出てきた一組の夫婦(坂元正二・はる)が
九条の町で鉄の商売を始めました。
わずかなお金を元手に始めた商売は「坂元商店」と号しました。
昭和17年(1942年)、当主・正二の出征により一時閉店。
終戦後の昭和24年(1949年)、焼け野原の大阪に戻っています。
商売の再開、裸一貫からの出直しでした。
細々とした商いを粘り強く続け、工場を整備していきます。
昭和35年(1960年)、兵庫県の同郷から婿養子の良三を迎えます。
私の父になる人です。
一家が団結し、商売を徐々に確かなものにしていきます。
高度経済成長の波に乗って社業は順調に発展しました。
石油ショックの中、2代目に交代
ところが昭和47年(1972年)、石油ショックです。
最大の売り掛け先が倒産、当社は経営危機に瀕します。
そのタイミングで良三が2代目社長に交代。
その真面目さ、慎重さ、徹底的な働きぶりで会社を立て直します。
その後、世はバブル景気に沸きます。
しかし良三は大きな拡大は望まず、堅実経営に徹します。
バブル崩壊後、1990年代後半は鉄鋼業界全体が不況に陥ります。
そのタイミングで1998年、良三に重病が発覚します。
先代の急逝、3代目への事業承継
私は当時勤めていた会社(時事通信社)を辞めて家業に入りました。
治療の甲斐なく、良三は足早に世を去ります。
父不在・不景気・未経験という3重苦。
そこへ数々の試練が襲い掛かります。
バブル崩壊、得意先の倒産、低価格競争、社内の不和。
素人経営の身に次々と問題が生じました。
決定打となったのが2008年のリーマンショック。
仕事量の低迷、在庫暴落による巨額の評価損。
結果、大きな赤字に瀕します。
経営改革、そして永続企業へ
そこからが経営改革の始まりです。
経営理念を定め、ビジョンを明確にし、社内の一致に尽力。
直前に導入したレーザー加工機を武器に、営業にも注力。
試行錯誤を続けた結果、経営は徐々に立ち直ってゆきます。
人心も落ち着き、安定した組織を手にします。
「こんな小さな会社でも社員の家族を入れて五十人が飯を食っている」
それが2代目・良三の残した言葉でした。
全社一丸となることで経営は成り立ちます。
当社の90年近い歴史を振り返ると、
日本経済の浮沈とともに数々の試練に見舞われています。
その危機のたびに会社は鍛えられました。
「どんな不況にもビクともしない財務の強い経営」
「人の育つよい会社」
これらがビジョンの2本柱です。
お客様から選ばれ続けることによって、
辛うじて存在を許されます。
数多ある同業他社から、敢えて当社を選んでくださったことに感謝し、
信じられ、頼られる存在であり続けます。
社員とともに力を合わせ、
「100年後も存在を許される価値ある永続企業」を目指します。
引き続きのご愛顧を、どうぞよろしくお願いいたします。