鋼板加工ニュース

2025.02.28

2025.03.06

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躍進するベトナム経済から考える


15年ぶりにベトナムを訪問しました。

高い経済成長率を維持し、躍進するベトナム経済。
平均年齢の若さ、成長意欲の高い国民性。
勢い良く発展するエネルギーの高さに圧倒された旅でした。

15年ぶりに見たベトナム

2月中旬、大阪鐵鋼流通協会(OSA)の海外視察ツアーに参加して
ベトナム(ホーチミン市)を訪問しました。

私が前回ベトナムを訪問したのが2010年のハノイでしたから、15年ぶり。
当時から外国資本の導入により経済が活気づいていました。

いまも年率7-8%と、高い経済成長率を維持し続けています。

起業家としての夢

今回のツアーの主眼はOSA会長である
大裕鋼業株式会社(井上浩行社長)の現地工場を訪問すること。

井上社長は30代でベトナムを初めて訪問し、
そのエネルギッシュかつ親しみやすい人々に感銘を受けます。

「いつかこの国でビジネスをしてみたい」
そんな起業家としての志を持ちます。

「海外にも拠点を持つ強い会社を作りたい」
「社員に夢や希望を与えたい」

その思いを50代になって実行します。

2013年、最初はホーチミン市中心部に小さなオフィスを借りて現地調査。
翌年、郊外の工場団地にある現地企業の工場を買収し、拠点を構えます。

地道な営業努力を重ね、取引先数が拡大。
現地事務所の開設から2年11カ月、ついに月次が黒字となります。

しかしその後もコロナ発生、現地社員の不正行為など苦難も続きます。
紆余曲折を経て、現在は取引先が約450社、
売り上げ9億円の規模に育て上げられました。

チャレンジングな国民性

井上社長から聞く印象的なエピソードです。

初めてベトナムに来て机3つだけのオフィスを借りた時のこと。
通訳の女性を雇いました。
5カ国語(越英中韓日)ができる逸材ですが、日本語が最も苦手でした。
しかし彼女は「だから日本企業に応募した」と言いました。

ここからベトナム人の挑戦精神、向上心が垣間見えます。
自分なら果たして彼女と同じチャレンジができただろうか。
得意領域だけで満足してはいないだろうか。

またベトナム社会は転職が激しい。
特に若いうちは様々な職種を転々とするようです。
転職を繰り返すことの是非はともかく、
適性を見つけるまで自己の可能性を試す国民性をみる思いです。

ベトナムの起業家たち

ツアーではベトナム人起業家の工場2社を訪問しました。
どちらも金属加工業で、1社は当社と同じレーザー加工業です。

2社ともに、ホーチミン近郊あるいは都市部で
充実の設備を取りそろえた工場展開です。
「アマダ」「マザック」など日本の最新鋭マシンがひしめいています。

欧州トップメーカー(バイストロニック)のレーザー加工機もずらり。
高級機がいくつも鎮座する工場は壮観でした。

彼らの共通点が「日本体験」です。

一人は群馬県、もう一人は大阪府の製造業で勤務経験をしています。
日本の高いクオリティを母国で実現しようと奮闘します。

20代に日本でモノづくりを学び、やがて帰国。
30代で起業し、40代のいまは業容拡大に驀進。

エネルギッシュな彼らを見ていると、
「昭和」の日本を彷彿とさせます。

昨日より今日、今日より明日。
確実に発展していく社会を確信し、積極投資を恐れない。

上昇するエスカレーターに乗って発展し続ける姿。
国の経済発展と歩調を合わせて大きく事業を伸ばしています。

日本も負けられない

高度成長期を経た日本は低成長期に入りました。
失われた30年間も、35年になろうとしています。
鉄鋼需要も大きく減りました。

しかし外部環境の厳しさはどうあれ、
社業を維持発展させる経営者がいる。
海外進出を成功させる経営者もいる。

これからも日本経済の試練は続くでしょうが、打つ手は無限。

海外から見ると日本の良さもまた見えます。
ある意味で日本ほど恵まれた社会も、世界的にまれです。

良好な治安、安定した社会情勢、
さまざまな分野でのクオリティの高さ。

海外に出て気づくのは、日本社会がいかに安全で恵まれているかということです。
水道水がそのまま飲め、停電などもほぼ無縁。

他国では戦争・テロや移民問題の激化、アメリカの銃犯罪、中国の監視社会など、
それぞれの社会で苛烈な問題を抱えています。

久しぶりに外国に出ると気づくのは、日本の良さです。
日本はビジネス環境としても圧倒的に恵まれている。

ベトナムのチャレンジングな国民性に触れ、
もっともっと挑戦したい。
そう思わせられた旅でした。

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